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真言宗とは?Shingon-shu

真言宗とは
真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、大乗仏教の宗派で日本仏教のひとつとしてよく知られています。
真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう)、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称します。
空海が長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤とし教王護国寺(東寺真言宗総本山)を真言宗の総本山としています。
同時期に最澄によって開かれた日本の天台宗が法華経学、密教、戒律、禅を兼修するのに対し、空海は著作『秘密曼荼羅十住心論』『秘蔵宝鑰』で、空海が執筆していた当時に伝来していた仏教各派の教学に一応の評価を与えつつ、真言宗を最上位に置くことによって十段階の思想体系の中に組み込んだとされています。
最終的には顕教と比べて、密教(真言密教)の優位性、顕教の思想・経典も真言密教に包摂されることを説いたといわれています。
天台密教を「台密」と称するのに対し、真言密教は東寺を基盤としているので「東密」と称することもあります。
空海
宗祖・空海(弘法大師)への敬慕が篤く10世紀には高野山で空海の入定信仰が起ったほどです。
弘法大師信仰(大師信仰)を説いているのが真言宗の各派にもいえる特徴の一つでもあります。
弘法大師信仰の高まりのなかで、様々な空海の姿が作られてゆき稚児大師、修行大師、入定大師、鯖大師、秘鍵大師、日輪大師などが信仰の対象になってゆきます。
宗祖である空海は、現在の香川県善通寺市の讃岐国屏風浦の出身で、仏教者であるとともに思想家、著述家、また「三筆」の1人に数えられる能書家として、後の日本文化に多大な影響を与えた人物です。
空海は延暦23年(804年)、遣唐使船に同乗して唐に渡り、長安・青龍寺の恵果から密教の奥義を授かってくる。
また、空海は唐で多くの仏典、仏具、仏画などを取得し日本へ請来したといわれている。
弘仁7年(816年)には高野山(和歌山県伊都郡高野町)の地にて、金剛峯寺を開創、弘仁14年(823年)には、平安京の官寺であった東寺を時の嵯峨天皇より下賜され、これら両寺を真言密教の根本道場としました。
835年(承和2年)の3月21日に、62歳で高野山で入定します。
空海が入定してから86年後の延喜21年(921年)に、弘法大師の諡号が醍醐天皇より贈られました。