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不動山 本明寺の歴史History

不動山本明寺の創建は文禄元年(1592年)、 心月上人によって開かれたのが始まりです。
戦国時代末期から江戸時代初期の兵火により焼失し荒廃したが本明海上人が再興し、庄内藩2代藩主の酒井忠当の眼病を治したことから酒井藩から寺領70石が安堵されるなど庇護されていました。
本明海上人は元和9年(1623年)、庄内藩士斉藤徳左衛門の次男として生まれ、富樫家(70石取り)の養子になると富樫吉兵衛を名乗りました。
寛文元年(1661年)、藩主である酒井忠当が眼病になった為、病気平癒を祈願する為、湯殿山に赴き注連寺と湯殿山神社の両方をを訪れ、祈祷と修行を繰りかえし酒井忠当の病を平癒させたと伝えられています。
その後、富樫吉兵衛は湯殿山での修行をさらに続け帰還しなかったため、改易となり寛文2年(1662年)には注連寺に入り主家し本明海を名乗るようになります。
その後、本明海上人の霊徳が鶴ヶ岡城の城下にも聞こえるようになると、藩主も罪を許し本明海上人の2人の子供達にはそれぞれ70石で藩士帰参が認められ、さらに本明寺を再興すると寺領70石が寄進されたと記録にあります。
本明海上人は延宝元年(1673年)に千日の五穀断、それを終えるとさらに千日の十穀断ち、さらに5ヶ月間松の木の薄皮を食し、61歳で天和3年(1683年)に本明寺境内で土中入定、遺言により3年3ヵ月後に掘り起こすと即身仏になっていたと伝えられています。
境内には本堂の他、即身仏堂、鐘楼、本明海上人入定の遺址、数多くの石碑、石仏などがあり霊地に相応しい雰囲気が漂っている。
宗派:真言宗智山派。本尊:湯殿山大日如来